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男が絶対に避けて通るのは、自ら女を捨てた女性だけなのです。 たとえば、「化粧して少しでも可愛く見せようとしない女」「素顔で平気で街を歩けるような女」「言葉遣いに女性らしい愛らしさがない女」などです。 男は、あくまでも陽の本質を持っているので、美人のみを求めていることはなく、女性としての本質を備えている人に魅かれるものです。 つまり、女性であれば、女性特有の優しさとか包容力、そして、女性の身だしなみとしての化粧をしていれば、釣り合いの取れた男は引き寄せられてくるのです。 顔を整形したり、化粧を濃くしてケバケバしたものにする必要はなく、笑顔のある可愛い女性を演出すれば良いだけなのです。 ★ここでは、男性が本当に女性に求めているものについて、ご紹介しましょう。
合コンや婚活では、女性に年齢を聞くのは失礼だといって、男は女性の年齢を聞きませんが、男性の結婚条件には、女性の年齢など重要視していないし、若い年齢の女性だけを求めているわけではありません。 たしかに、若い女性を見ているだけで、つややかな肌と弾けるような肉体は、男を魅了するにあまりあるぐらいです。若い女性の肉体はいくら眺めていても飽きないのは間違いないでしょう。 これは男の本能として、強い遺伝子を残すためには、若い女の肉体が必要なところからきているからで、若い頃の肌の艶や健康的な体そのものが、男の本能を刺激するからです。 ただ、男が本当の恋人として選択するとか、結婚相手にしたいと思っているような場合には、若い年齢が恋人を選ぶ絶対条件では決してありません。 若くても、夜遊びのし過ぎで肌がボロボロになって不健康な女、言葉遣いも「マジ」「スゲエ」などとまともな会話ができないような女は、男はまともに相手にはしないものです。もし、するとすれば、肉体だけが目的で、近づいているだけです。 お互いが惹き合って、自然に結ばれるような出会いは、人生に1、2回しかあるものではなく、年齢なども一切関係ないのです。 その大切な出会いを自分のものにするためには、やはり女性の本質を見せる必要があり、それは、明るさ、笑顔、清潔感、健康で、大人としての言葉遣いができて、清楚なイメージを与あることです。
女性は、ルックスやスタイルを気にし、貧乳はモテないと思っているようですが、いい男は、そんなものを基準で結婚相手を選ぶことはありません。 女性の中には、「胸が小さかったために、彼が離れていった」と反論するかもしれませんが、それは男の選び方を間違えたのです。 たしかに、どんな男でも、女性の肉体に磨きがかかって妖艶さが漂い、そのうえ強いフェロモンまで出ているとなれば、その女性の体に魅力を感じ、性的欲望が生じてくるのは致し方ありませんが、それはあくまで性の対象としか見てはいないのです。 結婚相手としては、モデルのような美人や豊満ボディーなどを求めていません。 「オレはぜったい熟女で巨乳じゃないとダメだよ」などと言っている男は、幼稚で人生を語るほどの教養もなく、いまだに大人になっていない子どもなのです。 こんな男に大きな仕事ができるわけがなく、ましてや世界を股にかけたビジネスの世界などで活躍できるはずもありません。 男は、スタイルやルックスが良いモデルタイプを好きになったり、コスプレをしている女性を好きになってちょっかいを出したりするものですが、それはそういう女性が好みであるというだけで、「愛する」というのとは次元が違います。 この「好き」というのは、ちょうど「果物ならミカンが好きだ」とか「鮨ならオオトロが好きだ」などという意味合いであって、「愛する」というニュアンスはないのです。 だから、男が「オッパイは大きいほうがいい」とか「スタイルは細身がいい」といったとしても、それはそういうタイプが好きだといっているだけで、愛する対象として言っているのではありません。 女性の皆さんは、このあたりを勘違いしないようにしましょう。
男は「陽」であり、社会で戦うことを宿命付けられています。 「男」という漢字は、「田」と「力」が組み合わさったものであり、力仕事を象徴しており、「父」という漢字をみても、「斧(おの)」が二つ寄り添った形で、外で獲物を捕まえたり、敵と戦うことを象徴しています。 一方、「女」という漢字は、女性が畳に両手をついて恭しく畏まっている姿をあらわし、「母」という字は乳房をあらわし、家で子どもを育てたり、家を守っていくことを象徴しており、社会で戦う能力など求めていません。 ですから、女性が必要とする知識についても、家庭内での育児のための知識や食事のマナー、あるいはファッションや美容の知識などであり、あとは新聞の社会記事が理解できる程度の一般常識があれば十分なのです。 では、できる男はなぜ、なんにでも興味を持って知識欲が旺盛なのか。日経新聞などの記事を隅々までを読もうとするのか。 それは社会で戦うためであって、別に知識そのものに興味があるのではなく、敵を論破し、自分の説に説得力を持たせるために、知識を吸収しているのです。 一方、女性はもともと社会で戦う必要などないのですから、やたら政治や経済の知識を吸収して振り回すことはないのです。テレビ討論などで、眉間にシワを寄せて男と論戦している姿が映し出されることがありますが、まさに醜い女性と化しており、すでに女性を捨てているとしか思えません。 女性は家庭で、子どもたちを慈愛を持って育て、将来役に立つ人物として世に送り出すのが本来の役目です。そして、会社という戦場から疲れきって帰ってきた夫には、いつでも優しい眼差しと包容力で癒してあげることが役目であります。そうすれば、夫は、明日の働くためのエネルギーを充電され、妻と子どものために奮起できるのです。 それを会社で議論して疲れ果てているところに、家に帰っても、新聞に書いてある社会問題や政治問題で、議論を吹っかけてきたらどうでしょう。 どんな男でも、うんざりして疲れがピークに達してしまうでしょう。
男性は敵に回るような女より、守りたくなる女性を求めており、そういう女性を愛するようにできています。 どこの会社にもいると思いますが、女性の中には、男を競争する相手だと勘違いして、必死になって男と闘って、出世競争や業績を伸ばそうとする人がいます。 こういう男と張り合っている姿は、もう女性の姿ではなく、醜さだけが目立つ存在になっています。つまり、男を敵に回しているのです。 フェミニストは「男に媚びるのか」と叫ぶでしょうが、媚びるのではなく、「ふつうに仲良くすればいい」だけのことです。 もともと、男と女は、お互いに張り合って競争するようには創られてなく、お互いが深く愛し合うことで、男と女の特質を発揮し、そして一対のペアとなって社会に貢献するようになっているのです。 要は、男は外で働き、女性を守ることが本質であり、女性は、家庭をしっかり守って疲れた男を癒してあげるだけでいいのです。ですから、男は、女性を外で働かそうなどとは考えてなく、ひたすら愛する女性を守ろうとします。 反対に仕事もしっかりできて強く見える女性は、男からすると、「強い女だから、ほっといても自分の力で生きていくだろう」と思ってしまい、男は誰も助けようとしなくなります。つまり、こういう女性は、かわいくないのです。 いい男は、「女性を守りたい」と思って生きているのであり、たとえ買い物に行くときでも女性は路肩を歩かせ、自分は車道側を歩くものです。 女性は、男に愛されるために生まれてきたのですから、男を敵に回すのではなく、いつも最高の笑顔で男性に接するだけで、いい男は自然に近づいてくるでしょう。 |
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