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いつも一緒にいたい。そう思わせてくれる相手は、くたびれた、生活臭が漂う男であったり女であったりするはずがありません。服装にも、体型にも、行動にも、それに心のあり方にも、きっと日々変化があるでしょう。ときには自分より一歩も二歩も先にいたり、あるいは突然昔のような無邪気さを取り戻していたりと、驚かせてくれるでしょう。 常に自分自身を成長させようとして人からは、いつも新鮮な輝きが放たれています。それこそが、ずっと色褪せずに続く愛なのです。 ★ここでは、幸せになる男性はどちらがいいのかを検証してみましょう。
★ 生活感のない男は要注意 特に女性は、相手の男性に「生活感」が感じられないときは要注意です。生活感がない人には、「都会的で洗練されていてセンスのいい人」というイメージがありますが、結婚相手としてはちょっと違うような気がします。 結婚まさに生活です。部屋のインテリアと結婚を同じ感覚で見ていませんか。乗る車で結婚生活を想像していませんか。相手の人が美味しいレストランをたくさん知っているから、結婚も美味しい生活になると錯覚していませんか。そんなもの、結婚には全部マイナスかもしれません。ある意味においては泥くさい関係のほうが、結婚生活がうまくいくものです。 理想の結婚生活とか、新しいスタイルの結婚生活とか、テレビの番組などでは、「ワンランク上」の結婚生活が紹介されたりしていますが、ひとりの人と長い年月を一緒に生きていくことに、女性誌の見出しのような形容詞など必要ないのです。 ★ 結婚には生活感が一番大切 では、結婚には何が一番必要なのか。それこそ、「生活感」ではないでしょうか。二人の生活を守っていく「経済力」、美味しいレストランを知っていることより「料理力」、二人が一緒にいると実感できる「コミュニケーション力」です。 一緒にいるのに一緒にいる気がしない、と女性に思わせる男は、きっと「コミュニケーション力」がないのです。それは生活感という名の愛情が欠如しているのかもしれません。生活感は、愛情でもあるのです。生活感を嫌う人は、インテリア等に力を入れますが、どうしてもそれは他人の目を意識したものになります。本来は二人が快適に生活できれば十分なのに、それ以上のものを求めているのです。 ですが、「生活感」のある人は、いつも地に足がついた生活をしています。結婚すれば、二人を中心に置いた生活をします。そこには永遠に「愛」が込められているはずです。「生活感」があるひとを見つけてください。少々泥臭くても、それが幸せを招く結果になるはずです。
★ 「オレのオンナだから」など言う男は、非常に危険 街の中で女性を叱りつけている男性がたまにいますね。そんな男性は一番危険な男性です。 世の中には、男と女の間に起きるさまざまなすれ違いが存在します。嫉妬、束縛、誤解、浮気など、数え切れないほどありますが、そんなものより、もっと怖いのが「人前での威圧」です。嫉妬が原因なのかもしれませんが、街中など、他人が大勢いるなかで「嫉妬の発表会」をするなんて、許されるでしょうか。全然関係ない他人だって、そんなものは見たくありません。 顔をゆがめて、口から泡を飛び散らせて怒鳴ったり、あるいは沈黙したままで、視線や指先で威嚇する。男性はそれで気持ちを納得させようとしているのですが、女性があまりにも可愛そうです。 おそらく「もう、こんな人とは別れよう」と決心しているのですが、男はまだ「俺の女だから」と馬鹿みたいに偉そうに、肩を斜めにいからせて、目を三角にして、女性を威圧しているのです。あっちへ行ってください、と言いたいのですが、そんなときの男は暴力的に見えて、危険を感じます。 ★ 一番の犠牲者は女性です、すぐに別れましょう 一番の犠牲者はその女性です。もう別れてあげるから何も言わないで、と訴えているのに、相変わらず納豆の糸のように粘っこく威圧しているのです。女性を疲れさせ、どんどん駄目にしていくのは、ところかまわずそんな行動をとってしまう男です。女性の気持ちをまったく理解していないのです。 嫉妬や束縛の気持ちは、人間には必要不可欠なものでありますが、それは、その中から男も女も学び取って成長していくからです。 しかし、「俺の女だから」と人前で相手を威圧するようなことには、何の得もありません。二人の気持ちを離れさせるだけなのに、それを癖にしてしまっているのです。 もし、あなたの彼がそのような人なら、一度話し合って、そういうことはやめるように教育しなければいけません。早期治療をしてください。それが無理なら、離れたほうがいいでしょう。そのような男に対して、「あなたは自分を何だと思っているのか」と一喝すべきです。
★ 「だめんず」にも魅力があるから好きになったはず 「だめんず」と呼ばれる人しか好きになれないのは、あなたがそういう人に魅力を感じるからです。そういう人をどう呼ぼうとそれは世間の勝手で、あなたにとっては、その人は駄目ではないのです。世間一般がそういう言葉の載った辞書を持っているだけなのです。「だめんず」と意識すること自体が間違っているのです。 いわゆる「だめんず」という流行語が、社会で通用すること自体に違和感があります。自分の好きな人を、どの視点で見るかということなのです。あなたは、自分が好きな人を社会に認めさせたいのですが、この社会のすべての人から、素敵だと思わせたいのでしょうか。あなたの視点を社会に合わせたいのでしょうか。 安定した地位も経済力もなく、先の見えない夢を追っている男。いつも自由を求めて生きている、ある意味で子供っぽい男。そういう男性は、確かにダメ男と言われてもしかたないかもしれません。 ある女性はそんな人とはたとえ一秒でも一緒にいたくない、と言うかもしれません。いつ何をするかわからないし、いつ爆発するかもしれない、まるで爆薬を持っているようだと感じるかもしれません。 ★ 愛しているなら「だめんず」でもいい しかし、あなたがその人を愛しているなら、世間から「だめんず」と呼ばれる男であってもいいのではないでしょうか。あなたの中には、そういう人を好きになってしまう要素があり、母性本能が強いのです。更生させてあげたいわけではなく、刺激的な人と一緒にいることが好きなのです。世間からは駄目だと言われていても、そこに母性本能をくすぐられる何かを感じているはずです。 あなたの視点でその人を見て魅力を感じ、愛しているなら、あれこれ考える必要はないでしょう。とかく世間は輪郭を見てしまい、本質的なことを見過ごしていてる場合も少なくありません。「だめんず」と呼ばれている人のほうが、人間的で純粋で、しかもかわいいのではないでしょうか。 自分を忘れてあるものに集中する姿は、まるで永遠の少年かもしれません。ちょっと激しいその行動は、忘れがちな、かつての日本人の姿を思わせます。平均化する日本人の中にあって、自分をとても大切にしている証拠かもしれません。 |
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