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顔立ちがそれほど整っていない九手も、妙に心を躍らせてくれる人がいます。挨拶を交わしたときはそうでもないのに、話をしているうちに、どんどん美人に見えてくる人です。こういう女性をずっと観察していたら、ある共通点があり、それは目がキレイということです。 目がキレイといっても、切れ長だとかまつ毛が長いという類の美ではなく、きらきら輝いていて、まるで少女マンガのように目に星が入っています。 女性誌のメークの記事などではよく目ヂカラなどといわれて特集が組まれていますが、実際、キレイな目というのは顔立ちをすぐさま2割増しにしてくれるほど、強いパーツなのです。 ★ですが、所詮メークによる魅力アップは補助的なものであり、その奥にある目に光がないと、どんな達人メークだってたいした力は持てません。
★では、何が目に力を宿らせるのか、それは好奇心です。 自分を取り巻く世界に対して、いつも心を開き、「あ、面白そう」「わ、ステキ」と柔軟な感性を消さずにいることは容易ではありません。 なぜなら、人は慣れる動物だからです。恋愛でも、10代ならメールのやり取りやキスひとつで胸が苦しくなるほどに幸せだったのに、20代も半ばになれば、それくらいでいちいち胸キュンなんてしないでしょう。 もちろん恋人からのメールやキスの幸福感に変わりはないのですが、10代のときに比べればどうしたってわくわく感はレベルダウンするものです。 生きることも同じです。10代のころなら触れる世界はいつも新しい。目の前に広がる現実は、それまで見たこともなかった美しいもの、面白いもの、刺激的なもので満ちていたはずです。 ところが、いろんな経験をつむうちに、人はおおかたのことに慣れ、すべてを知っているような気になって傲慢になります。そうなれば、少々のことでは心が動かされなくなります。
感性というのは繊細なものだから、心に垢がたまると反応しにくくなるのは当然です。そうして日常の喜怒哀楽のレスポンスが鈍くなれば、好奇心のスイッチも入りにくくなってしまいます。 ★言ってみれば、物事に対するレスポンスや好奇心というのは、心の瑞々しさを映す鏡です。これが豊かな女性は常に目が輝いているし、いつまでも魅力的で老けません。 間違えないでほしいのは、好奇心の豊かさは、あれもこれもやってみたいという欲張り感覚とはちょっと違うということです。 好きな世界を持つこと、それを突き詰めることはもちろいいい。「これ」というものがあると、それだけで好奇心は尽きません。 ですが、一方では、自分磨きという言葉が定着していくにつれ、ある時期から、「好奇心を広げて自分の中に何か特別なものを持たなくては」と、強迫観念になってしまう女性が出始めました。 自分の努力を高めるのは美しいのですが、何のために頑張るのか、自分がどうなりたいのかが見えなくなってしまうほど躍起になることが、本人のためになっているのかは微妙です。
女性の中には、自分磨きの波に取り残され、「何が好きかわからない」と悩むような人もいるはずです。自分を高めたい願望はあっても、どこかで、「面倒くさい」が先にたっているのです。 こういう女性は目がどんよりしていて、覇気がありません。外見は身ぎれいなのに、なんかパッとしないなあという女性は案外この手が多いです。 好奇心を満足させるチャンス、自分を成長のチャンスはいくつもあったにもかかわらず、「どうせ私なんか」という怠惰で、自ら芽を摘んでいるのです。 ★自分を高めるには、それなりに手間も時間もお金がかかるものです。 だから、自分に投資できる姿勢は、他人からは自分を大事にしているように見え、そして、他人からも大事にされます。たとえば、ある人が大切にしている古伊万里のお皿があったとして、それをぞんざいに扱えないでしょう。触るとき、自然と両手で丁寧に扱うのと同じです。 これと対極にあるのが、次のような行動です。 自分自身を軽んじるような行動をとると、せっかく好意を寄せてくれる男性からも、そのように相手が映って見えるため、結局「いまいち」と思われてしまうのです。 ★「本当に好きなもの」は探して見つけるものではなく、自然に湧き上がってくるもの。またそれでこそ、女性を芯から輝かせる好奇心の源になります。 意気込んではじめたもののあれもこれも挫折・・・。そんなふうに自分磨きを放浪していては疲れるだけです。 いま見当たらなくても焦らないで、ゆっくり時間をかけて探したって遅くありません。 それに、すぐさま「これ」というものが見つからない場合でも、キレイになるコツがないわけではありません。
感性に富んだ美人というのは、自分磨きのための「これ一筋」というような世界はないものです。 たとえば、料理と映画と自転車には人並み以上に燃えていても、のめり込んでいるふうはなく、おしゃれも旅行もグルメもいろいろ楽しみたいと語っているのです。 それでも、こういう女性が特別に映ってしまうのは、好奇心の表現で、レスポンスのレンジが広いのです。ツーと言えば即座にカーと返ってくる反応のよさは相手を気持ちよくしますが、それがどんなシチュエーションでもできるのです。 たとえば、恋人が素敵なレストランに連れて行ってくれたときに幸せそうな表情を見せるのはもちろんのこと、それが近所の庶民的な定食屋とか、たまたま入ってしまった雰囲気の悪い店でも、「こういう体験ってなかなかないから面白いね」と楽しんでしまう。 友だちと映画を見に行って、ハズレだったとしても文句は言わない。「あのシーンのダサさは映画史上に残ると思わない?」などとそれをネタに遊べるのです。 そのうえ、どんな状況でもひとときを盛り上げるような話題を、さらにチャンネルをいろいろ切り替えて振ることができます。 たとえば、見上げた月がキレイでじんときた。おいしいケーキ屋さんを見つけたのがちょっと自慢。この間貰った本を週末に読むのを楽しみにしている。観たかったお芝居を観たら予想以上によかった。 こんなささいな感動だって、疲れているときやブルーなモードのときには、なりを潜めてしまいます。ですが、好奇心豊かな女性は、いつも感度良好で自然と顔が引き締まり、目の輝きが増してきます。 つまり、「キレイだね、おいしいね、楽しいね」と日常をはしゃげる女性は、異性をとろかせ、同性を温かい気持ちにできる上質美人といえるでしょう。 日々のできごとを自分にフィードバックさせて楽しめる澄んだ感性や、そうした小さい幸福を子どものように喜べる素直な可愛らしさは、もとがどんな目であっても確実に、「美人の目もと」に変えてしまうはずです。そんな女性には、外側からあれこれと手を加えるプチ整形なんて必要ありません。 そこからさらに上手なアイメークを練習すれば、見事に映えます。輝きを湛えた目に艶やかなメークを施すとき、本当にキレイになる喜びはそんなときにあるものです。 |
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